【2024年3月号】絵本づくりの仕事場より/柿本幸造・蔵冨千鶴子
2024.02.05
仕事場
大きなどんくまは足まめで、町へ行き、海へ行き、空をとんだりしての大奮闘。家でぼんやりしている姿をまだ見かけません。
小さな私「5尺2寸・12貫500匁」は、小さな山にかこまれた小さな仕事場にこもったきり。電車で1時間の東京へも、年に二度か三度。
こんな出不精の私が、どこへでも気軽にでかけるどんくまを描き続けているのは、何とも妙なとりあわせです。
小さな私「5尺2寸・12貫500匁」は、小さな山にかこまれた小さな仕事場にこもったきり。電車で1時間の東京へも、年に二度か三度。
こんな出不精の私が、どこへでも気軽にでかけるどんくまを描き続けているのは、何とも妙なとりあわせです。
柿本幸造
終戦後六年目の春の晩、当時、山口県の海辺の町に住んでいた私の家に、泥棒がはいりました。持っていかれたものは、足踏み式ミシンの機械部分だけ。さぞ重かったろうと思います。
ふすまひとつへだてた隣室で、私は妹たちと寝ていたものですから、ミシン台に残った、ひきちぎられた生なましい傷跡が、恐怖とともに強く心に残りました。その後、雨降りの夜中に「だれかがミシンを踏んでいる!」と、雨だれの音を聞き違えて母を起こした記憶があるほどです。なんとも理屈に合わないことでしたが……。あの日、近くにどんくまさんがいてくれたらよかったのに。
ふすまひとつへだてた隣室で、私は妹たちと寝ていたものですから、ミシン台に残った、ひきちぎられた生なましい傷跡が、恐怖とともに強く心に残りました。その後、雨降りの夜中に「だれかがミシンを踏んでいる!」と、雨だれの音を聞き違えて母を起こした記憶があるほどです。なんとも理屈に合わないことでしたが……。あの日、近くにどんくまさんがいてくれたらよかったのに。
蔵冨千鶴子
1971年『どんくまさんの おてつだい』
あとがきより
▼ 柿本幸造(1915-1998)
広島県生まれ。上京後は鎌倉に居を構える。手がけていた広告の仕事が編集者の目に留まり、1954年から絵本の仕事に携わる。優しくあたたかな画風で知られる。
1967年 『どんくまさん』を発表。 「どんくまさんシリーズ」は26冊を数え、 イギリス・アメリカなど海外でも発行されている。そのほかの作品に『どうぞのいす』 『もりのおくのちいさなひ』(以上、ひさかたチャイルド)、『しゅっぱつしんこう!』(小峰書店)などがある。1959年第8回小学館絵画賞、1964年第18回毎日出版文化賞、1980年フィンランド児童文学協会から翻訳児童図書優秀賞受賞。
▼ 蔵冨千鶴子(1939-2018)
東京都生まれ。子ども時代を山口県の海辺の町で過ごす。1965年より至光社編集部にて月刊保育絵本『こどものせかい』の編集制作と絵本創作に携わる。「どんくまさんシリーズ」26冊のほか、『のらいぬ』(谷内こうた・絵)、『ゆうやけいろの くま』(つるみゆき・絵)、『ちいさい イエスの おたんじょうび』(矢野滋子・絵/サンパウロ刊)などの絵本作品がある。
▼こどものせかい2024年3月号
『どんくまさんの おてつだい』をみる
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片柳弘史神父とよむ こどものせかい
▼ 編集者による制作エピソードなど
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